Monumento

tenma さん

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  • 2018/05/23 21:09
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問屋場  江戸時代、人や馬の継ぎ立てなど行 った問屋が、当宿には一時七軒もあっ て全国的にも珍しいことでした。  美濃十六宿 のうちで、当時のまま現 存し、その偉容を今に伝えているのは ここ山崎家のみです。  縁起物...

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  • 2018/05/22 14:11
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寝物語の由来  近江と美濃の国境は、この碑の東十メートル余 にある細い溝でした。この溝を挟んで両国の番所 や旅篭があり、壁越しに「寝ながら他国の人 と話し合えた」ので寝物語の名が生まれたと言 われています。また、平治の乱...

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  • 2018/05/22 13:10
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常夜灯  街道が賑わっていた江戸期は、文化 五年(# 1808)のことです。  京都の問屋河地屋は、大名の荷物を 運ぶ途中ここ今須宿 付近で、それを紛 失し途方に暮れてしまいました。そこ で金毘羅様 に願をかけ、一心...

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  • 2018/05/22 13:05
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車返しの坂  南北朝の昔、粋狂な人もいたもので す。不破関屋が荒れ果て、板庇から漏 れる月の光が面白いと聞き、わざわざ 都から牛車に乗ってやって来ました。 その御人は公家の二条良基 という人。  ところがこの坂道を登る...

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  • 2018/05/22 13:00
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ここは長久寺です 江濃のくにも親しき柏はらなる 岩佐女史に物し侍りぬ 啼よむし 寝もの語りの 栞りとも 化 月 坊 (芭蕉十哲各務支考 、美濃派十五世) 長久寺村  古昔此の辺りに、両国山長久寺 といふ寺あり ...

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  • 2018/05/22 12:48
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長比城跡  登り口」 道標 (左側)  織田信長 は、浅井長政 を討つべく、 元亀元年(# 1570)六月十九日、 浅井朝倉 勢が守るこの城と苅安城 を 攻めた。  木下藤吉郎・竹中半兵衛の働きで 浅井方の#...

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  • 2018/05/21 22:27
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柏原宿の略史 (史跡の時代順案内) 鎌倉時代 *柏原弥三郎の柏原城跡地に、佐々木京極氏が館・徳源院・墓所設置。 鎌倉の終り *京極高氏(佐々木道誉)は鎌倉幕府の命を受け、後醍醐天皇側近 北畠具行卿を斬首。当地丸山に葬る。...

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  • 2018/05/21 22:01
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東見付跡  柏原宿 東の入口で、道の両側に 喰違いの形で土手(土塁)が築かれ ていた。  見付とは、本来城門のことで宿 場用語となった。見付は宿場西口 にもあった。  東口の土手は、古図に幅二間奥 行二間半、土手上...

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  • 2018/05/21 21:55
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「東山道」道標 (神社鳥居脇)  正確には、東山道中山道分岐点 道標。  県境、寝物語長久寺 より坂下UR 踏切までは、古道東山道の上に中山 道が敷設された。  それより北西へ走る東山道は廃道 になり、踏切...

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  • 2018/05/21 21:53
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#「東山道」道標 (神社鳥居脇)  正確には、東山道中山道分岐点 道標。  県境、寝物語長久寺 より坂下UR 踏切までは、古道東山道の上に中山 道が敷設された。  それより北西へ走る東山道は廃道 になり、踏...

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  • 2018/05/21 21:46
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天地の坂 (てんちのさか)  この坂名は、昔、坂の下に「天 地」の屋号の家の水車があったこ とに由来しているといわれます。  このあたりは、ひところは湧水 が多く、古地図などにもその名が 記されています。そのため、ハケ ...

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  • 2018/05/21 21:43
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地の坂 (てんちのさか)  この坂名は、昔、坂の下に「天 地」の屋号の家の水車があったこ とに由来しているといわれます。  このあたりは、ひところは湧水 が多く、古地図などにもその名が 記されています。そのため、ハケ...

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  • 2018/05/21 21:23
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芭蕉と伊吹山  松尾芭蕉 は、柏原宿を三回西か ら東へ通っている。三回目のあと 大垣の句会で詠んだ、伊吹山の句 碑が、清滝の入口にある。  「奥の細道 」では、伊吹山麓の 北国脇往還を関ヶ原へと通った。 そのときも...

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  • 2018/05/19 23:00
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本田地蔵堂 (延命地蔵)  この地蔵は高さ九十センチメートルの石仏座像で彫りが美しく優雅な面相である。背面に「石工名古屋門前町大阪屋茂兵衛 」、台座には「文化六巳巳歳(# 1809年)八月二十四日建立、濃州本巣郡上本田村 」と...

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  • 2018/05/19 22:37
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本田代官所跡 江戸時代の一時期、このあたりに幕府直轄地 の代官所があったが、詳細は定かでない。しかし、古文書等から推測すると、寛文十〇年(# 1670)、野田三郎左衛門 が、初代代官に任じられ、この地に陣屋を設けたと思われる。...

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  • 2018/05/19 22:26
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高扎場跡 きりしたん制札など幕府や領主が行政的 に周知の必要な事項を木製の高札に書い て掲げ住民に知らせる場所であった。江戸時 代の中山道分間延絵図 によると、このあたり に高札場があった。 瑞穗市教育委員会

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  • 2018/05/19 22:17
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千躰寺と千躰仏 千躰寺 は、浄土宗西山派に属し、現在、養老郡の円満寺の末寺である。千躰寺には高さ12センチメートルから23センチメートルの桧材一木造の阿弥陀如来立像 、千体が八段に並べまつられている。仏像は、千躰仏と呼ばれ、寺の...

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  • 2018/05/19 22:01
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美濃中山道と一里塚跡 中山道は江戸幕府成立以後、東海道、日光街道、奥州街道と並んで五街道 の一つに数えられていました。 日本の中央部を走るこの中山道は垂井から大垣、墨俣を経て名古屋へ向う美濃路 、関ヶ原から長浜に至る北国街...

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  • 2018/05/19 18:32
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中山道一里塚跡 中山道は江戸・日本橋から 京都三条大橋まで六十九次・百三十五里余り。旅人の便宜の為に一里(約四キロメートル)毎 に一里塚が設けられました。 この三里一里塚跡 は江戸から数えて百六番目の一里塚が設けられた跡地...

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  • 2018/05/19 14:28
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ocr-generated 中山道と鏡島の今昔 中山道と鏡島  江戸時代の公街道の一つ中山道 は、慶長七年(# 1602)に宿駅伝馬の制が定められ、順次整備された。 そのルートとしての赤坂・呂久・美江寺・河渡・鏡島・加納を結...