Monumento

tenma さん

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  • 2017/06/21 22:18
  • (192)

芦田宿 本陣 土屋家 芦田宿 は、慶長二年(1597)に設立、江戸幕府の交通政策施行(慶長六年)より四年前で北佐久では一番早くできた。  本陣土屋家は、問屋を兼ね芦田宿の開祖でもあった。  本陣御殿(客室)は寛政十二年(...

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  • 2017/06/21 22:17
  • (117)

金丸土屋旅館 文化元年(1804 年)頃より旅籠屋で、軒の西側に「津ちや」東側に「土屋」の看板を掲げる、今も旅館を営む金丸土屋旅館。二階の部分が表通りに少し出ている出張り造りで腕木に彫刻、煙だしを持つ大屋根など多くの特徴を持っ...

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  • 2017/06/21 22:16
  • (126)

庄屋 山浦家 庄屋跡の山浦家は慶長から明治年間に山浦権助 によって建築されたと云われている。 問屋としても その役割を担っていた。現在は、建物の老朽化により取り壊され、跡地の奥には土蔵のみ残っている。 えがおのふれあい「芦...

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  • 2017/06/12 12:30
  • (635)

芦田宿(あしだじゅく) 慶長年間、徳川幕府によってつくられた中山道 は、近世五街道ひとつであり、江戸と京都の交流を結ぶ役を果たしていた。  芦田宿 は中山道二十六番目の宿として、宿の町並みは、六町二〇間(約七〇〇メートル)...

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  • 2017/06/12 12:29
  • (398)

中仙道茂田井入口  望月宿を抜けると中山道は茂田井に至っている茂田井は、東の望月宿と西の茂田宿の間にある日村で、現在は間の宿とも呼ばれている。ここは茂田井への入口で、坂を下りはじめると、江戸時代の面影の残る民家や造り酒屋が軒を連...

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