Monumento

ogaworks さん

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柴右衛門狸 三熊山の柴右衛門狸です。城下町洲本の古い民話に登場します。三熊山は右手に見える城山です

二の門跡 東面、木造、本瓦葺、二階造り、梁間三間、桁行八間  本丸から大手門にいたる第二の門で「二の御門」と呼ばれていた。  一の門の東方一直線上にあたり、武器庫として使用された。門内はニの丸といい、藩政を執る役所が置かれていた...

史跡 吉田橋関門跡 横濱市長 平沼亮三書 昭和二十九年四月建 開国百年祭記念

野毛おでんの歴史  一九〇三年(明治三十六年)、横浜開港でにぎわう現在の野毛交差点付近にて屋台を始めました。  その後、一九一三年(大正二年)に今の吉田町に移転し、関東大震災や横浜大空襲を乗り越え今日に至ります。  創業百十余年...

残念切りの石 その昔他国から狼藉者が徒党を組んで当神谷神社の社殿及び境内で狼藉を働かんとしてここまで来た時無数の熊蜂が群をなし飛び来り境内に一歩も進むこと能わず残念の余り傍にありし石を刀を以て切りつけそのうっ憤を晴らして退散したと云...

博多塀 はかたべい  豊臣秀吉が博多の町の戦災復興、いわゆる太閤町割りを行ったとき、神社・仏閣や豪商の屋敷に築かれた土塀は、兵火による焼石、焼け瓦を粘土で固めてつくられ、、「博多塀」と呼ばれました。

索道基地跡(花木園)  明治38年、東平の索道基地がここに完成しました。  鉱石・生活用品・資機材等を東平・下部鉄道黒石駅(昭和10年からは端出場)迄運んでいました。現在は、東平ゆかりのシャクナゲやドウダンツツジなどを植栽した花木...

七丁石 国指定史跡 昭和八年二月二十八日 頂尖板状自然石花崗岩製 中心高さ 六十七センチ 中央幅  三十五センチ 厚さ   三十センチ  上部中央に梵字 *(アク)が大きく薬研彫されている。 下右に 願主 下左に 藤...

品川宿の松  この松は、旧東海道品川宿 のシンボルとなる「街道松」として、東海道 が取り持つ縁で、二十九番目の宿場があった静岡県浜松市の有賀慶吉氏より品川区に寄贈された樹齢約八十年の黒松です。  斜めに傾いた幹は、 風雨に耐え...

半四郎落し物語 むかし、ここ城ヶ崎にほど近い富戸村に、半四郎とおよしというたいそう仲のよい夫婦がおりました。ある日、半四郎はひとり海へトジ刈りにト出掛けました。 カゴにいっぱいのトジを背負い岩場で休んでから家に帰ろうとつかれた腰を...

昭和三十三年十月十日 上野驛開設七十五周年記念式の佳日その席に列した朝倉文夫 先生は たまたま驛の開設が明治十六年で先生と生誕を同じくしていることを知り深く喜懌になり記念のために 台東區を通じてこの像を贈られここに建設されたものであ...

史跡 詫間海軍航空隊跡 神風特別攻撃隊出撃の地

Tsunami Awareness

里程標 横浜市 二九粁 甲府市 一三一粁  名古屋市 三七〇粁 京都市 五〇三粁 大阪市 五五〇粁 下関市 一、〇七六粁 鹿児島市 一、四六九粁

鬼平情景 軍鶏なべ屋「五鉄」 45  小説「鬼平犯科帳」に登場する、鬼平の行きつけの店、本所二ツ目の軍鶏なべ屋「五鉄」の場所は、「二つ目橋の角地で南側は堅川」とあるように、この辺りだと推定されます。  鬼平 とその配下の密偵たち...

日本三大広小路 広小路とはもともと火除地を意味する。江戸ではたびたびの火災で多くの人家が焼失したので、幕府は1657年の大火前から火除地を計画していたが護持院の焼失を契機に、八代将軍吉宗は、この地を火消地とし、さらに各所に設定し...

浮月楼由緒 元この地は、徳川幕府の代官屋敷であった。明治元年八月前将軍徳川慶喜 公は、謹慎の御身を水戸からここ駿府に移され、常磐町の宝台院に暫く閑居の後、翌二年十月この地に手を入れて遷居された。庭園は平安神宮を手がけた小川治兵...

品濃一里塚  慶長九年(一六〇四)徳川幕府は、五街道 を整備し、あわせて宿場 を設け、交通の円滑を図りました。  それと同時に、当時あいまいであった駄賃銭を決めるために、江戸日本橋を起点とした距離が判るように、明確な里程標が必...

浦島太郎伝説関係資料 横浜市地域有形民俗文化財 平成七年十一月一日登録 所有者 宗教法人 慶運寺 所在地 神奈川区神奈川本町一八番地二 登録資料 本尊浦島観世音(旧観福寿寺蔵)一躯      浦島父子搭(旧観福寿寺旧在)一...

□中山道歴史散歩コース□ 塩地蔵尊 ここは吉敷町1丁目です  毎年8月24日には地蔵尊祭を行います。塩地蔵にはお線香と塩を供えてお参りします。祭壇には、12幅の地蔵娯楽の絵がかけられ、夜には念仏や町内の子供たちのお囃子が奉納さ...