Monumento

木曽源太郎墓

2020-09-03

Tags: ocr-generated 東京都 府中市

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ocr-generated 東京都指定旧跡
木曽源太郎墓
所在地 府中市片町二丁目四番地の一高安寺墓地
指 定 昭和十四年 五月
はやしお)
ひゃっか
ひらたかったね

さいおん
たまさんぺい
幕末の志士で熊本藩士、名は義顕、初称は入江八千兵衛、木
曽義仲二十五代目の末裔といわれ、天保十年(一八三九)九月
十七日新次郎義聲の子として生まれたが、幼くして孤児となり、
熊本藩の林桜園について諸子百家の書を学び、のち平田鎮胤、
鈴木重胤らについて国学を修め、長じては兵学の研究に専念し
た。安政の末年上京して勤皇の志士西園寺実満と東奔西走して
皇権の回復を画策した。文久元年(一八六一)熊本に帰って兵
法師範をしていたが、文久三年(一八六三)密かに脱藩して再大
び上京、討幕運動に身を投じ、姓名を旭健と名乗った。同年十
月澤宣嘉を擁して平野国臣、美玉三平らとともに、但馬生野に
挙兵し総指揮を執って代官所を占拠したが、姫路、出石藩を主
力とする幕府軍に鎮圧され長州に逃れた。明治維新後は帰藩し
て本姓に復し木曽源太郎義顕と改めた。伊勢度会府判事に任ぜ化
られ、護王神社権宮司、湊川神社や鎌倉宮の宮司を歴任した。
晩年は大樹庵と号し、北多摩郡府中町の縁戚古瀬方(長女多賀
子の嫁ぎ先)に隠棲した。大正七年(一九一八)十二月二十一
日八十歳で死去した。碑文は澤宣嘉の次男宣元の長男宣一の撰
によるものである。
文化財を大切に
ひめじ
いずしは
わたらいふ はんじ
かまくら
みなとが
おうじんじゃごん
のぶただ
平成十三年 三月三十一日 設置
東京都教育委員会

Texts

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2020-09-03 13:17 (0)
monumento

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