Monumento

kawa_sanpo

2018/03/18

Tags: ocr-generated 岐阜県 恵那市

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ocr-generated -
QG
-
# /
模が根立場

, ま
発体。
とほと「こメー
立った。つ-」
#

基外。
市川に、
原勝三原十蔵
確ニ) EM等
栄ャン
per
体とは
な格
小野弥文
ああやさらけ
門かん!」らん
ここは中山道模が根追分である。
東へ七本松坂や西行坂を下って中野村を過ぎ、
阿木川を渡れば大井宿であり(この間約一里)、
西へ約二里半(約10キロメートル)深立場や
炭焼場の十三峠を越せば大漱宿である。
ここで中山道に分かれて西に下る道は、竹折や
戸を経て内津峠を越せば名古屋や伊勢方面に行
くことができ「下街道」と呼んでいた。
江戸時代ここは中山道の通行者に加えて、木曽
や尾張方面の商人荷、それに善光寺や伊勢神宮等
の参拝者が行き交い、付近一帯に道をはさんで多
くの茶屋があり、巻が根茶屋とか模が根立場と呼
んでいた。
「享和二年(一八O) 三月この地を通った太田
南畝は、著書「木曽の麻衣」にこのあたりの様子
を次ぎのように書いている。
「石ばしる音すさまじき流れにあり、わたせる
橋をみだれ橋という。みたらしの坂というを上る
事五六町にして、山のいたくきより見れば、左右
の山ひきく見ゆ。ややくだりゆきて右の方に石の
灯籠ふたつたてり。いせ道と石にそれり。ここに
仮屋して伊勢大神宮に棒納の札をたつ。道のへに
一重桜さかりなるは遅桜なるべし。一里塚をへて。
人家あり。巻かね村という。追分立場というは木
讐といせ路の追分なるべし。こ)にもお六櫛をひ
きてひさぐ。なおも山路をゆきゆきて又一塚あ
り。はじめの道にくらぶれはいと近し。松の間を
ゆきて六七町も下る坂を西行坂という。左の山の
上に桜の木ありて西行の塚ありという。円位上人
は讃岐の善通寺に終わりをとりぬときくに、こ)
にしも塚あることいかがならん。折から谷の鳥の
声をきくもめづらしく、頃は弥生の末なるに遺覧
在野という事も引いでつべし。砂石まじりに流る
・水にかけし板橋を渡って中野村あり……」と。
「お円
JUL
れをる
f名な、
AMた
新日本○書が
中山道の整備は初め慶長七年(一六〇二)、徳
川幕府役人大久保石見守を総奉行としてなされた。
その時の道はこの植が根追分から西に下り、竹
折ー戸を経て御岳宿へ出た。ところがその翌年
こ・から西へ真っ直に行く道が改修され、慶長九
年(一六〇四)十三峠を越す道が完成し、大漱宿
が設置された(細久手宿の設置は慶長二年であ
る)。
#

+ 理 子
*
けっこを
63
その後一里塚を築き塚の上には複や松を植え、
街道の両側に松などの並木を植えて完備した。
その後この地の藩主や村々の農民の手による補
修により、江戸と京都を結ぶ幹線道路として、そ
の機能をはたしていた。
0務員ではたしていた絵図は「恵那郡中野村中山
「道家並絵図」(幕末・個人蔵)から
槙ヶ根立場の部分を抜粋したもの
平成二年三月 文化庁 恵那市教育委員会

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